「抱っこ」の哲学

「抱っこ」の哲学

 昨夜は、最初から決めていたのです。

 帰ったら、すぐ、アイツを「抱っこ」して、

 そのまま、飯を食ってやろうと。


双子長男の、突っ伏し泣き。

 夕飯時、双子長男から「抱っこ」をせがまれ続け、悩まされた。

 帰宅したばかりの僕は、腹ペコで、双子たちに邪魔されないように、

 キッチンカウンターで夕飯を立ち食いしながら、

 なんとか「待て」を覚えさせようと、必死になったけど、

 双子長男が、床に突っ伏して泣きわめくので、

 ぜんぜん落ち着いて夕飯が食べられない。

 そんな日が、何日か続いた。

「抱っこ」したまま、食えばいい。

 昨夜、帰り道に、ひらめいた。

 どうやって「抱っこ」から逃れるか。

 こればっかりを、考えていたのが、間違いだ。

 どうせ立ち食いだし、「抱っこ」したまま、飯を食えばいい。

 静かに食えるし、筋トレにもなるし、

 全員、嬉しい。

 そう決めて、昨日は「抱っこ」したまま、飯を食った。

 腕がだるくなったけど、久しぶりに、穏やかな夕飯のひととき。

 双子長男の満面の笑みを、写真に撮った。

「抱っこ」の哲学

 昨日、僕が帰宅した時、妻が読んでいた育児の本に、

 ちょうど「抱っこ」のことが書いてあったそうです。

 双子長男を抱っこしている僕に、妻が読み上げてくれました。

「抱っこ」とは、まだ言葉をうまく操れない時期の子供にとって、

 最初に与えることの出来る深いコミュニケーション。

 10ヶ月、お腹の中にいた長い期間の「安らぎの記憶」を求めるように、

 子供は、とにかく「抱っこ」をせがむ。

 受け入れられる喜び、

 認められる安心、

 親に「抱っこ」を、してもらうことで、

 生きていることの「肯定感」が、呼び覚まされる。

「抱っこ」とは、

 素朴で、原初的で、哲学的。

 明日からも、積極的に、

「抱っこ」をしよう。

2013-02-01 | Posted in 子育てComments Closed 

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